雨の日の散歩

こんちは、すみぷーです。

この前、京都の五条楽園と東山安井金比羅宮の周辺をおさんぽしてきました。 ちょっと小雨が降ったりやんだりでしたが、とても充実した一日でした。

ということで、今日は五条楽園のおはなし。


五条楽園は京都の五条河原町の交差点のすぐ南で、鴨川と河原町通りに挟まれた場所にあります。ここには昔遊廓があり、その後赤線となり近年まで続いていました。


すぐ北の五条通はとっても広くて車も人もたくさん通っているのに、一歩五条楽園に入るとそれとは対照的な空間。ひっそりとした雰囲気で、特にこの日は雨が若干降っていたので、余計どっしり重い空気を感じました。


京都府総合資料館が所有している昭和初期頃に作成された「京都市明細図」を見てみたいと思います。
これは最近になって発見されたもので、昭和初期の京都を知る上でとっても貴重な資料。
何種類かの色で建物の業態が区別されています。

五条楽園の位置には紫色がぎっしり!紫は、例えば祇園では「お茶屋」、五番町では「遊廓」、安井では「席貸」などなどと区分されている場所に使われています。
つまりそこは色街。

でもこの分け方にどのような基準があったのかわかりません。赤の「旅館」にも「遊廓」に近い営業形態もあったと思うけれど…
五條楽園のお茶屋は廓と区別されているのに、祇園ははっきりお茶屋と書いてあって、どこがどう違うのかとか、勉強不足で疑問がどんどん湧いてきます。



ここ五条楽園には「廓」の文字が見えます。「置屋」「料理屋」「旅館」の他、「パーマ」「遊ギ」「性病科」も確認でき、いづれも色街にはかかせないもの。典型的な色街と言えるのではないでしょうか。


さらに驚いたのは五条楽園の南の方に、「尋常小学校」がありました。
色街の近くに学校があるというケースはたくさんありますが、ここはどういう状況でこうなったのでしょうかね。
ちなみにこの尋常小学校は今の「ひと・まち交流館京都」辺りのようです。なるほど、面積の広さも似ていますね。

そして「南京極町」という文字も。都市の「極」にはこのようなまちができるのはおもしろいです。

京都市明細図」についてはこれからしっかりじっくり分析してみたいと思います。




今の名前は五条楽園ですが、昔は「七条新地」といわれました。
売春防止法(昭和33年)が施行されたことで、今までの売春中心の業態から脱し、「七条新地」に付属した悪いイメージもなくそうということから、名前が「五条楽園」に変更されました。
しかし業態は変わることなく、近年まで存続していたのです。

が、去年(2010年)の10月、警察によって摘発が行われ、現在は全く営業をしていない様子。



これは全国どこの例を見てもそうですが、
摘発された売春街の建物は少し時間が建つと取り壊されてしまいます。

そしてここもそう。
耳にはしていたのですが、ここらへんで有名な、立派なステンドグラスのある建物がなくなっていました。その跡地は駐車場となり、見事に何もなくなっていました…

これが一年前くらいに撮ったステンドグラスの建物(今見ると撮り方がヘタで見にくい写真ですが…)

こっちがその跡地


赤線の特徴といったら、タイルとアーチと丸窓と… まあいろんな種類の建物がありますが。
五条楽園に残されている建物それぞれに、その特徴が見事に残されています。私の中では国宝級。

そして売家になっている建物もありました。


どんどん変わっていく街。
昔のことは残された資料でしかわからないし、今のことは現地を歩いてみないとわからないこともたくさんある。

「地域学」の重要性を強く感じた一日でした。



安井についてはたぶん後日書きます。たぶん。



京都市明細図」は京都府総合資料館で公開されています。残念ながらその図を載せられないので、下のURLをご参考に。
http://kyoto-shiryokan.jp/kyoto-memory/detail.php?id=U003701