『訂正です重要!』新入会員募集のビラ

訂正とお詫び
このまえ、らくらくけんの新入会員を募るために、配布したビラなのですが、
アドレスとQRコードにミスがありました。

誤[〇〇〇〇〇〇@gmail.co.jp]

から、

正[〇〇〇〇〇〇@gmail.com ]

にお願いいたします。
〇〇〇〇〇〇の部分は正しいので、そこはビラまで
お願いします(。>д<)

ご迷惑おかけしましたが、少しぬけているわたしを生暖かく支えてくださる
新入会員を募集してます。

ぜひ、ぜひご連絡お願いいたします!

まるで、知識の宝石箱や~

仏滅ですね、こんにちは。いしもーです。
前回の宣言通りブログを更新しようと思って、ネタを探してきました!
天気予報では、曇りのち晴れ。
お出かけ日和じゃないか!
と思いたち、友を誘い、自転車を駆使して京都府立総合資料館へ。

しかし、走り出してから5分。
ポツリポツリと雨が降り始め、あっという間に横殴りの雨にやられました。
『目が・・・目がぁぁあっ!!?』と呟いて千本通りを駆け抜けた小人を見た方。
それは私です。
なんとかたどり着いて一息。
その後は各々趣味の場所へ。

京都府立総合資料館はさすがに蔵書が充実していて、
京都本などたくさんありました。
ネタになりそうなものメモ&コピー。

4h半程ねばって、閉館と共に帰宅。
また後日つかんだネタを発表したいです!

京都府立総合資料館は1日中楽しめる場所です。京都で調べ物するなら、あるいは時間をもて余しているのなら、ぜひ一度天気のよい日に訪れてみて下さい!-

ひさびさの更新です・・・。

こんにちは。
更新が停滞し始めてから1年間もたってしまいました。
12月にはいりました。そして、ひと月後には2013年です。
12月は師走(しわす)とも呼ばれますが、きっと鮮やかなるダッシュを決め込んであれよあれよと日がたつのだと思います。

さてさて、話は飛びますがこの写真。
どこかで見覚えがありませんか?

洛中洛外研究会のメンバーは去年、国民文化祭の企画のひとつ、『発掘!満喫!芸屋台ツアー』にて西舞鶴の芸屋台を紹介しました。
(詳しくは、2011年11月18日の記事を参照してみてください。)

上記の写真は私が(洛々研とは関係なく)西舞鶴に訪れた11月9日頃、
JR西舞鶴駅に1基の芸屋台が飾られていて、撮影したものです。
1年ぶりであったので、思わず写真を撮ってしまいました。

去年、初めて芸屋台を見たときにも思いましたが、地元の誇る文化をすぐ間近で見ることができる、知ることができる、というのはとても良いことだと思います。
私は地元の文化に触れる機会などそうそうなく、いまだに地元のことを語れ!と言われてもうまくしゃべることができません…。

地元を離れたとき、「私が育った地域にはこんな文化があったよ」と誰かに紹介できる人になりたいですね!

●●●

今後は実のある話も実のない話も随時更新していきたいと思います!
それでは。

夜の西舞鶴をあるく

2009年から西舞鶴に行く機会があるのですが、夜はみなさんとお話をしたり、ご飯をごちそうになったりで、あまりふらふら歩くということはしませんでした。
ですが、今回はじっくりと歩いてきました。

印象としては駅前からマナイ商店街、平野屋商店街、中央商店街付近には夜でも飲食店・居酒屋・スナックなどがある程度、集積しているということ。
人は多いとは言いがたいが、それでもスーツを着たサラリーマン風の男性グループを何組かみかけました。
京都市内でもみかける居酒屋チェーン店なんかもありましたね。



スナック街/飲み屋街もそれらしい雰囲気がありました。



西舞鶴に初めて訪れた友人に言わせると、平野屋商店街のこのかんじは、どこかの温泉街の雰囲気があるのだそうです。
なるほど。



夜にならないと見せない表情、というのもあります。

おでんはおいしい!

一昨日(12月10日)は久しぶりのオリジナル企画「もしわし」を行いました!
報告はまた誰かが書いてくれるでしょう←
ざっくり説明すると、鷲田清一氏の『京都の平熱』という本をテキストにしてまち歩きをしようじゃないか!
ということです☆


当日は12時から18時までみっちり歩き、途中凍え死にそうになりながらも充実した一日でした!
そして、打ち上げ(?)で駆け込んだお店でおでんを食したわけです。


しみた大根はおいしかったです!


にしまいづる今昔紀行第二弾「魅せます!ぼくらの西舞鶴」ご報告!

第一弾に続いて、第二弾のご報告です。遅くなってごめんなさい。楽しんでいってください^^

11月6日(日)曇り時々少雨
本当に誰ですか、雨女!私…?ということで、またもや快晴には恵まれない洛々研。が、幸い雨はほとんど降らずどんよりとした雲の下、蒸し暑い一日となりました。今回は先週の反省も生かし(?)運転手が交代できる大型レンタカー作戦です。トヨタのNoahくんにお世話になり、朝7:30出発。
10:30からは高校生たちとリハーサル。高校生の熱意がものすごくて押される洛々研メンバー(主に私)。さらに、高校生らしい緊張と心配がこちらにも伝わってきて、一瞬若返った気分でした。←
ご飯を食べて打ち合わせした後、いざ、集合場所へ…
さて、ここでお決まりのコンセプト説明です!第一弾では芸屋台(地域の昔の財産)を取り上げました。これと対照的に第二弾では西舞鶴のまちを歩いて、見て、食べて、「今、現在」の西舞鶴へのまなざしを参加者の皆さんと共有し、あらゆる世代から見た西舞鶴を発見していきたい。これが今回のコンセプト。そこで、高校生と学生のコラボツアーが完成したのです!


では、さっそく、参りますか!!
来て下さったのは前週も来てくださった20代男性と郷土資料館の方、さらに一般男性の方一名と御夫婦一組が来てくださいました。まずはうちの水口から初めの挨拶をしてもらい、引き続き高校生から高校生ツアーの説明をしてもらいました。
今回はOBOGの方々が来て下さったこともあり、とてもにぎやかです(笑)



まずは田辺城へ…

高校生からの説明はなかなかのものです!細川幽斎のろう城の話から舞鶴の語源まで。笑いを交えながら詳しく説明してくれたので、みんな引き込まれるように聞いています。



続いて明倫小学校へ。せっかくですので、高校生の説明を一部抜粋します!

「明倫小学校の歴史は牧野家の第3代目当主の創設による明倫齋にさかのぼります。その後改築し、明倫館と改称されました。今の明倫小学校は明治5年の学校発布に伴い、明倫館の土地と建物を引き継ぎ庶民の学校として誕生したものです。明治6年4月13日のことでした。正門は明倫館当時のものを移築したもので、昔ながらの面影が今も残っています。」



西舞鶴の魅力は歴史的なものだけではありません。続いてはJAグループ京都の「彩菜館舞鶴店です。
「ここで売られている農作物には、作られた日付、原材料、作った団体や名前などが書かれています。そのため、前にこの人が作ったこれが美味しかったと思えば、またその人の名前の同じ農作物を探せば、また美味しいと思った農作物を手にし、食べることができます。そして一番スーパーと違うのはお客さんと店員さんとの壁があまりないことです。いろいろな農作物が売っているので、作り方や保存の仕方などわからなくても、店員の方は詳しく、フレンドリーに接する方ばかりなので、親しみをもて、料理のレパートリーが増えるなど、専門店ならではの良さもあります。」

予定外ではありましたが、お店のなかに入ってみなさん舞鶴の名産を選んでいらっしゃいました。


次に国道27号線を横断して真名井の清水へ。

「真名井の清水は奈良時代の丹後風土記に「その味甘露の如し、万病を癒す力がある」と記されるほどおいしく、最低限の水質検査しか行われていないにも関わらず地元の人々が毎日汲みにきているほど地元に愛されています。また細川幽斎がこの水を田辺城の城内へ引き入れていたといわれ、湧水の都市上水道として日本最古とされています。」試しに水を飲まれた方もいらっしゃいました。


そして、ちょっと気になる西舞鶴人面鯉を見るため北上。
「あまり顔を出さないのではっきりと見ることが出来るかわかりませんが、もし見れればとてもラッキーでしょう。おじさんのような顔をしておりなんとなく親しみがわいてきます。人面鯉の存在はあまり知られておらず、地元民でも知らないと言う人が多いです。とても珍しい人面鯉ですが、中筋小学校を正面に右方向にある池でもう一匹人面鯉を見ることができます。」

みんなめっちゃ探してます!あっいた!

う〜む、渋い…


続いて、洛々研も何度か利用させていただいた現役銭湯若の湯

「若の湯の創業は1903年で、現在の建物は昭和初期に完成しました。若の湯の特徴は脱衣場が真ん中にあるので男風呂と女風呂の間に脱衣場が挟まれているという、あまりない珍しい構造になっています。そんな若の湯は1998年3月6日の京都新聞にお客さんの癒しの場として紹介され夏には海水浴の学生グループや家族でにぎやかになると、掲載されています。」その外観のレトロさ故か、はたまた番台のおばあちゃんの優しさに癒されるためか地元の方々を始めとする多くの人々に愛されています。



高校生ツアー最後は昨年12月にオープンしたというかわいらしいパン屋さん「コムギ屋

「可愛く、おしゃれな外観にひかれて入る学生や女性が多く、可愛い小さなアンティークや、店員の方とのコミュニケーションなどで楽しく買い物できるのも人気の一つです。コムギ屋では生地にこだわりをもっているそうです。期間限定のパンや、あまりない組み合わせなど、さまざまなパンがあります。売り切れになるパンの一つとしてあげられるのが、メロンパンです。外はサクサクで中はもっちもちという、まさに生地にこだわりがあるからこそ作り出されるパンと言ってもいいほどの美味しさが人気をよんでいます。」




ここでツアーも半分終わり、30分の休憩を挟みました。もちろん場所は宰嘉庵

お茶とお菓子をお出しして、普段閉まっている宰嘉庵の中をじっくり見ていただきました。この前行われた人形展のお人形もいくつか展示したままにしてあったので、みなさん興味深げに見て回っていらっしゃいました。


後半は大学生ツアー。なんとか時間通りに進めたい…
最初は登録有形文化財に指定されている「渡邊家」前で会長から西舞鶴景観と文化財について。

西舞鶴は旧田辺城城下町ということで、江戸時代からある町家・土蔵が多く残っています。もちろん、明治時代に海軍鎮守府が置かれたことで景観は大きく変化しましたが、その際に作られた建物(現在の近代化遺産)に関しても戦後取り壊されるなど、西舞鶴は時代ごとに姿を変えています。現在、西舞鶴登録有形文化財に指定されているのはこの渡邊家だけですが、この他にも江戸明治期に建てられた趣のあるお家がたくさん残っています。ところが近年、高齢化が進み維持管理が厳しくなるなどの問題から、古い商家が取り壊されています。今回私がここを取り上げたのは、同じ町家の景観にしても、私が生まれ育った京都市内のようなきれいに整備されていたり人々の注目が集まる場所よりも、素朴で落ち着いた雰囲気の西舞鶴の歴史的町並みの方が好きだからです。


お次は岡本から強制疎開についてのお話。

一目でわかりますね… 「舞鶴市には海軍鎮守府がおれており重要な軍港であり、さらに海軍工廠などの軍事施設・軍需工場が集中していたために空襲の標的とされる危険性が高い地域でした。舞鶴市での強制疎開は昭和20(1945)年4月5日より行われています。延焼防止や避難場所の確保、幹線道路・鉄道沿線地域を主に着手し、対象家屋は1200戸と確定されていました。昭和20(1945)年7月29日と30日には、舞鶴市域において空襲による大きな被害がありました。海軍工廠や港湾地区を中心に被害が出ており、両日で300人を超える死者があったと言われます。」説明の後は5枚の地図と1枚の空中写真を使って、疎開の様子を詳しく解説してくれました。



続いて、橋を渡って桂林寺へ。桂林寺では新人(?)田前が、初めての発表を半ば無茶ぶりでやってくれました。

桂林寺には府指定文化財・市指定文化財があり、西舞鶴でも随一の由緒あるお寺です。1年前、ここのご住職にお話を伺った際には、100年後までにここら一帯を門前町にするという目標を語っておられました!


我らがすみぷーは期待を裏切らず、朝代遊郭について説明してくれました。

「朝代遊廓は舞鶴軍港都市になるに伴い、明治21年に「貸座敷免許指定」を受けスタートしました。昭和33年の売春防止法によって公娼制度が廃止されたことをうけて、朝代遊廓も解散しました。千野宮神社の境内には、「朝代貸席組合」の玉垣や「朝代芸妓一同」各店の屋号の玉垣が残されており、往時の朝代の繁栄ぶりを示しています。

この玉垣は昭和30年の土砂崩れによって崩壊した時に建て直されたものです。」

朝代遊郭跡付近。


では、時間もおしてきたことですし帰路につきましょう!JR西舞鶴駅に戻ってきたころには15時半になっていました…

私はこの後、第一弾のお礼に伺っていたため、まとめに出席できていませんがOBOGの皆様も含め、よい議論ができたようです。以下アンケートから一部抜粋。
「高校生も普段の勉強よりも違った一日で、私達にせいいっぱい伝えてくださりありがたかったです。」
「高校生のmapに出来たばかりのパン屋さんが入っていたこと。古いものの魅力は勿論だけど、暮らす人々にとっては新しいモノの魅力というのもある。」
「芸屋台のように、全国に誇れるものがたくさん詰まっている。逆に、それらがオープンにされていないところも西舞鶴の魅力かも知れない。あまり発展していないからこそ残っているのかも、と最近思うようになりました。」
「新しい魅力というのは古き良き街から生まれるのだと知れました。」
アンケートでは、宰嘉庵をイベントで使ってみたいという声も多く、宰嘉庵のアピールにもつながりました!一方で、やはり宣伝力の問題やコンセプトに基づく各場所の意味づけが弱かった点など、反省点も見えてきました。今後の活動に積極的に生かしていきたいと思います!


こうして、二日間にわたる私たち洛中洛外研究会の国民文化祭企画は幕を閉じました。2年の時間は長いようであっという間。反省点や後悔はもちろんあるけれど、学生のうちにこのような機会を与えてくださった府職員さんやOBOGの皆さん、石田さん、その他関わってくださった全ての方々、そしてなによりも西舞鶴の地域の皆様に心から感謝します。
私たち学生には4年間という地域と関わっていくには短すぎる時間しか許されていません。そのため、その間に何かを成し遂げたり完成させたりすることは到底できないと思っています。ただ、時々訪れては地域の方々とふれあい、自分たちの学びや生き方につながっていく。お互いに刺激しあいながら地域を見つめなおしてみる。それが微量ながらも「変化」になれば◎。そのスタンスを忘れずに今後も西舞鶴やそのほかたくさんの地域と関わっていきたいと思います。
皆さま、本当にお疲れ様でした!



またね!

にしまいづる今昔紀行第一弾「発掘!満喫!芸屋台ツアー」ご報告!

お待たせしました!!
みなさま気になる、にしまいづる今昔紀行の模様をお伝えします!

10月30日(日)雨
前日晴、翌日晴でこの日だけ雨。誰だろう、雨男雨女…しかしそれでくじける洛々研ではありません!朝は7時半から京都を出発。10時前から準備組と宣伝組に分かれて行動開始です。
開始30分前…

これでも会長は緊張で吐きそうでした(笑)

雨もなんとか小降りになり、少しずつ参加者も増えてきました…!

参加者8名を迎え、13時15分。会長から初めの挨拶、趣旨説明、そして水口くんから朝代祭礼と芸屋台について説明してもらいました。20代から50代まで幅広い世代の方が集まって下さいました。

皆様とツアーを始める前にこの企画のコンセプトをおさらいしておきますと…
江戸時代、大衆の娯楽として親しまれていた子ども歌舞伎が行われていた芸屋台。現在舞鶴西地区の10の町に残っており、そのうち7つの町が組み立て復元を完了しています。今回はJR西舞鶴駅に展示されている新町芸屋台を除く6基をいつもより近くで「見て・触れて・聞いて・感じて」いただきたいと思っています。そして改めて地域の財産と触れあい、魅力として再確認していきたい、そう考えています。



さて、それでは芸屋台ツアーにでかけましょう!
まず、初めに訪れたのは堀上(ほりかみ)

芸屋台に関する歴史や組み立てに際しての苦労話を自治会長さんからお話を伺っています。
堀上の保管庫は前面がガラス張りのため、通常でも見ることは可能ですが中に入って後ろや細部まで見ることはできません。説明のあとは中まで入って見せていただきました。


続いては、寺内(じない)です。
寺内も保管庫はガラス張りで、さらに目の前の「ひろっぱ」はロータリーのように整備されているため目につきやすい場所にあります。寺内では自治会のみなさんが準備をしてくださり、芸屋台の後ろに掲げる「見送り」も見せていただきました!


ここでは芸屋台に関する新聞記事や写真などをまとめたファイルを公開してくださっていたので、組み立て時や使われていた当時の様子を垣間見ることが出来ました!


次に竹屋(たけや)に伺いました。
芸屋台の保管倉庫は国道27号線を越えた飛び地に設置されており、通常はシャッターが下りているので残念ながらあまり目立ちません。。こちらも自治会のみなさんの手によってシャッターを開けていただき、きれいに掃除をしていただいて見せていただくことができました!

雨、降ってますね… 晴れていたら少し動かしていただいて道路までだしていただけたそうなのですが、残念ながら。。しかし、貴重な時間をいただきました!ありがとうございました!


まだまだ続きます、続いて魚屋(うおや)です。
魚屋は住吉神社の境内に保管庫があり、こちらも常にシャッターが閉まっています。今回は雨が降っているにも関わらず芸屋台とともに太鼓の山車も出していただきました。


自治会長さんは西舞鶴を元気にしたいと意欲的で、事前のお話でも地域に対する熱意を語ってくださいました。


さて、続いては丹波(たんば)丹波は洛々研として初めて西舞鶴を訪れた際、個人の方に間近で見せていただいた思い入れの強い芸屋台です。

2009年のゑびす市での一枚。
今回は自治会のみなさんにお世話になり、芸屋台を見せていただきました。丹波の芸屋台は螺鈿や漆塗りが施されていてとてもきれいです。

自治会長さんは、10年後20年後の西地区に人がいなくなってしまうのではないかということに問題意識を持っていらっしゃいます。芸屋台を文化財にする動きも高まっているなど、今後の西舞鶴には地元の方の力が必要不可欠ですね。


最後に、現在は西(にし)の芸屋台が展示されている田辺城公園横の保管庫に集まりました。こちらの保管庫は最近作られたばかりのもので、市役所の都市計画課の方で管理されています。今回も都市計画課の方に開放していただき、行政の取り組みなどを伺いました。


芸屋台ツアーはこれで終わり。最後に、総括として参加者の方から感想をいただきました。以下アンケートの一部抜粋。
「一気に芸屋台をみな見れたことでそれぞれの比較ができ、大変良い勉強になりました」
「現在組み立てられている芸屋台の実物が皆見られたのがよかった」
「各々の芸屋台を持っておられる町内会の方々が、各々自分のところの芸屋台に誇りを持って紹介されているのが印象的でした。」

その他、若者や外部というフレーズが目立ち、これらの特性を生かして地元の人への起爆剤となれば、という声が多いように感じました。逆に反省点としては、やはり宣伝不足。。企画を知っていただいた媒体は市民新聞さんが一番効果的だったようですが、最後に滑り込みで載せていただいたので今後は早め早めの行動が大切だということですね。

予定通り16時ごろには解散して、宰嘉庵にて残ってくださった数名の参加者の方と軽い交流会をしました。

西舞鶴に行くたびに、何らかの人脈が広がっていく気がします。そしてそれは必ずしも地域活性化やまちづくりに直接関係するものではない、ただただ個人的財産となる人脈です。私たち学生にとってこうしたつながりが広がっていくことが一番の喜びであり、大切なことだと洛々研は信じています。そして、これらのつながりが最終的に地域への何らかのきっかけに繋がっていくならば、とても光栄なことだと思います。

こうして、にしまいづる今昔紀行第一弾「発掘!満喫!芸屋台ツアー」は私たちなりの大成功で幕を閉じました。

第二弾に続く…