西陣をぷらぷらぷら
午後から北野天満宮をスタートにして西陣界隈を円を描くようにご案内しました。
(らくらくけんとは無関係です)
普段は行かないようなお店も入ったりして、いつも通ってるところなのに新鮮でもありましたね。
ある程度「らしさ」というものはつくりあげたほうが「うけ」がいいのかなとおもいました。
休憩がてらカフェでパンケーキを頂き、それなりにあるき、最後は上七軒の広東料理「糸仙」さんで夕食。
このお店は元お茶屋さんで建物自体もそれほど手を加えてないお店です。
今日は2階の座敷にあがらせてもらい、畳にターンテーブルでおいしいお料理をいただきました。
うんまいんですよ!
多くは語りませぬからぜひご自身の舌でこの味を確かめてみてください。
旧五条楽園の建物と上七軒の建物の構造上のちがいが明確に分かれていて興味深かったですね。
「用途」のちがいによって建物の構造も当然ながら異なるのですね。
告知!!「にしまいづる今昔紀行」
こんちは、すみぷです。
今日は今週と来週の日曜日の企画をおしらせしますよ。
10/30・11/6に京都の西舞鶴にて私たち洛中洛外研究会が2つのツアー企画を行います。1つ目は西舞鶴の昔、2つ目は西舞鶴の現在の魅力をめぐるツアーとなっています。
ちなみに今回の企画は、今年、2011年10月末〜11月頭にかけて京都の各地で開催される京都国民文化祭の登録企画です。
京都国民文化祭2011まゆまろチャレンジ次世代・若者企画 『にしまいづる今昔紀行』
◯第一弾 10/30(日)13:00〜 (集合:田辺城門前)
「発掘!満喫!芸屋台ツアー」
細川幽斎によって築城された田辺城は西舞鶴地区を城下町として発展させ、多様な文化をもたらしました。そのひとつに「子ども歌舞伎」があり、各町内会の「芸屋台」で歌舞伎を演じたとされています。しかし戦後はその子ども歌舞伎が演じられることはほとんどなく、芸屋台ともども土の中に埋もれてしまいました。現在は地元の方々の手によって、7つの町が芸屋台を組み立て保存しています。当日は、各町内の芸屋台をめぐり歩き、見て、聞いて、西舞鶴の歴史と文化に触れ、さらに今後の芸屋台の活動や保存について参加者の皆さんと考えていこうと思います。
◯第二弾 11/6(日)13:00〜 (集合:JR西舞鶴駅1階芸屋台前)
「魅せます!ぼくらの西舞鶴」
「地元の高校生が西舞鶴をどう見ているのか?」「西舞鶴の魅力とはなんだろう?」という視点から地元の高校生たちが作り上げたオリジナルマップをもとにまち歩きを行います。当日は西舞鶴のまちを歩いて、見て、食べて、今の西舞鶴へのまなざしを参加者の皆さんと共有し、あらゆる世代から見た西舞鶴を発見していきたいと思います。「よそもの」の視点として、洛中洛外研究会のメンバーからの西舞鶴の魅力の発表も予定しています。「西舞鶴を語らう」、そんな社交場のような空間を高校生から提供していただきましょう。
※参加費無料
※雨天決行(荒天の場合は中止)
参加希望の方、また質問等はブログのコメント覧か、こちらのアドレスまでお名前を添えてお送りください。
rakurakuken1221@gmail.com
もちろん当日参加もOKです!
時間が空いたから散歩がてらに参加してみるか〜でもかまいません。
対象は地元の方はもちろん、西舞鶴以外から来た方も大歓迎です!
もしお時間が合えばお越しくださいまし。らくらくけん一同お待ちしております!
雨の日の散歩
こんちは、すみぷーです。
この前、京都の五条楽園と東山安井金比羅宮の周辺をおさんぽしてきました。 ちょっと小雨が降ったりやんだりでしたが、とても充実した一日でした。
ということで、今日は五条楽園のおはなし。
五条楽園は京都の五条河原町の交差点のすぐ南で、鴨川と河原町通りに挟まれた場所にあります。ここには昔遊廓があり、その後赤線となり近年まで続いていました。
すぐ北の五条通はとっても広くて車も人もたくさん通っているのに、一歩五条楽園に入るとそれとは対照的な空間。ひっそりとした雰囲気で、特にこの日は雨が若干降っていたので、余計どっしり重い空気を感じました。
京都府総合資料館が所有している昭和初期頃に作成された「京都市明細図」を見てみたいと思います。
これは最近になって発見されたもので、昭和初期の京都を知る上でとっても貴重な資料。
何種類かの色で建物の業態が区別されています。
五条楽園の位置には紫色がぎっしり!紫は、例えば祇園では「お茶屋」、五番町では「遊廓」、安井では「席貸」などなどと区分されている場所に使われています。
つまりそこは色街。
でもこの分け方にどのような基準があったのかわかりません。赤の「旅館」にも「遊廓」に近い営業形態もあったと思うけれど…
五條楽園のお茶屋は廓と区別されているのに、祇園ははっきりお茶屋と書いてあって、どこがどう違うのかとか、勉強不足で疑問がどんどん湧いてきます。
ここ五条楽園には「廓」の文字が見えます。「置屋」「料理屋」「旅館」の他、「パーマ」「遊ギ」「性病科」も確認でき、いづれも色街にはかかせないもの。典型的な色街と言えるのではないでしょうか。
さらに驚いたのは五条楽園の南の方に、「尋常小学校」がありました。
色街の近くに学校があるというケースはたくさんありますが、ここはどういう状況でこうなったのでしょうかね。
ちなみにこの尋常小学校は今の「ひと・まち交流館京都」辺りのようです。なるほど、面積の広さも似ていますね。
そして「南京極町」という文字も。都市の「極」にはこのようなまちができるのはおもしろいです。
「京都市明細図」についてはこれからしっかりじっくり分析してみたいと思います。
今の名前は五条楽園ですが、昔は「七条新地」といわれました。
売春防止法(昭和33年)が施行されたことで、今までの売春中心の業態から脱し、「七条新地」に付属した悪いイメージもなくそうということから、名前が「五条楽園」に変更されました。
しかし業態は変わることなく、近年まで存続していたのです。
が、去年(2010年)の10月、警察によって摘発が行われ、現在は全く営業をしていない様子。
これは全国どこの例を見てもそうですが、
摘発された売春街の建物は少し時間が建つと取り壊されてしまいます。
そしてここもそう。
耳にはしていたのですが、ここらへんで有名な、立派なステンドグラスのある建物がなくなっていました。その跡地は駐車場となり、見事に何もなくなっていました…
これが一年前くらいに撮ったステンドグラスの建物(今見ると撮り方がヘタで見にくい写真ですが…)
赤線の特徴といったら、タイルとアーチと丸窓と… まあいろんな種類の建物がありますが。
五条楽園に残されている建物それぞれに、その特徴が見事に残されています。私の中では国宝級。
どんどん変わっていく街。
昔のことは残された資料でしかわからないし、今のことは現地を歩いてみないとわからないこともたくさんある。
「地域学」の重要性を強く感じた一日でした。
安井についてはたぶん後日書きます。たぶん。
「京都市明細図」は京都府総合資料館で公開されています。残念ながらその図を載せられないので、下のURLをご参考に。
http://kyoto-shiryokan.jp/kyoto-memory/detail.php?id=U003701