空襲を受ける京都

鷲田清一さんの『京都の平熱』という本で


「都市はいま空襲を受けている」

という項があります。



京都もその例外ではなく、古い町家や建物が取り壊されて、新たなマンションやビルに変化しています。



そんなことをこの写真を見て、ふと思い出しました。
三条京阪のバスターミナルの東側も新たな団地(?)が作られて、残るのはお地蔵さんだけ。


京都のいたるところで空襲がおきています。

最近にぎやかならくらくけん

ご無沙汰しております!もはやホープではなくなってしまった、おでぃがBGMにコラアゲン氏を聞きながらお送りします。
最近の洛々研はすごくにぎやかです!
西舞鶴企画(国民文化祭編)が佳境に入り、当日の流れも徐々に決まりつつある中、新入会員が3名も!
地理学2人と京都学1回生1人(こちらは現在体験期間中?)、つまり計8名+特別顧問。
進化し続けるけど、ノリはいつまでも変わらない洛々研をこれからもご贔屓に!
西舞鶴については後日詳細をお伝えします!

もうすぐ紅葉シーズンなので、京都にお越しの際には(京都に住んでる方も)交通渋滞等にお気をつけくださいませ!

はじめまして!

はじめまして。
今年から洛洛研に入りました。いしもーと申します。本名をだすのも気恥ずかしいので古いあだ名を使わせてもらいました。
出身は関東です。
現在19歳です。

パソコンは苦手ですが、これから細々とブログ更新のお手伝いができたらいいなーと思っております。

とりあえず、最近驚いたことについて。

先日京都でタクシーに乗ったのですが、運転手さんというのはとても物知りですね。
阪急大宮駅がまだ阪急の終点だったころのお話をしてもらいました。

府外出身者なのでまだまだ京都のことはまったくわからないので、タクシーに乗ると勉強になります。

タクシーの運転手さんにインタビューをしながら京都をとらえていくことも面白そうだと思いました。

今回は、このくらいで。
写真もアップできないくらいの機械音痴ですがこれからもがんばっていきます。
よろしくお願いします!

中書島雑感

今日はいつもお世話になっている、伏見は大手筋のお茶を売られているお店に寄ったあと、定番のコースで中書島方面まで足をのばしました。


大手筋から納屋町商店街→竜馬通り→中書島繁栄会
というのが定番コースなわけですが、今日は竜馬通りをパスして鳥せい本店の前を通過して、長建寺から中書島繁栄会へ。

ここの飲み屋の風景も独特な雰囲気があるようにおもいます。
駅前にこれだけ集積してスナックや飲食店が立地しているのはどのような経緯があるんでしょうかね。




地名はその名も「南新地」。
昭和初年に濠川の半分を埋め立て開発されて、「南の方に開けた新地」から「南新地」と名付けられたとか。
(ちなみに、明治43年京阪電車開通によって中書島駅ができ、大正3年には市電が中書島駅‐京都駅間に開通)

京阪電車の開通、市電の終着駅という環境から今の風景が形成されたのかもしれないですね。
(京都では西院や四条大宮にもそんな風景がみられる)



その他に考えられる理由としては、中書島には色街があったということが影響しているのかもしれませんね。

遊廓から赤線へ変化し、おそらく昭和33年から適用された売防法によって廃業・解散になるのですが、その色街になかば連続するかのように今の風景が形成された、とも考えられます。





おもしろい街です。


(写真は中書島繁栄会のほぼ真ん中にある新地湯。昭和初期の建物。)

ずいき祭

こんにちは!久々すみぷーです。

今回は先日あった京都のずいき祭を紹介しますね!

毎年10月4日に巡行があります。

瑞饋神輿(ずいきみこし)保存会という京都の西ノ京13町の有志の方たちがこのお祭りを守ってきました。
ずいき祭は平安時代にはすでにあったとされ、江戸時代に今の形になったと言われています。
京都西之京は以前農村であって、このお祭は地域の方々の五穀豊穣を祝ったお祭りです。

お神輿は土台以外すべて野菜などの土に返るものでできています。
たとえば屋根はこのお祭りの名前でもあるずいき(里芋の茎)でできています。
「ずいき」と聞いてもピンと来る人が少ないと思いますが、
京都でよく食べられている野菜で、スーパーに行ってもずいきの煮物がおそうざいコーナーに置かれていたりします。

お神輿に飾る瓔珞(ようらく)というものはかぼちゃみたいな形をした赤なすや2センチくらいのかわいい唐辛子でできています。

お神輿の4面にはそれぞれ、上部には欄間(らんま)、下部には桂間(けいま)、腰板(こしいた)があり、これらは毎年担当の作り手さんが題材を決めて作成します。
それらも乾燥したずいきやマメ・タネ類、トウモロコシの皮などでできています。

ちなみに今年の欄間で一番印象に残っているのが「うさぎとかめ」。
今年は東日本大震災が起き、この欄間を作った方は「絆」というテーマを掲げ、
本当ならうさぎがかめを置いて先に行ってしまうところを、うさぎの背中にかめを乗せ、一緒にゴールまで行きましょうという思いを込めて作られたとか。
ちなみにうさぎの毛はパン粉でできています!!




欄間を一つ取り上げても奥の深ーいもので、会員の方々の思いが凝縮されたお神輿なんだなと感動しました。


お神輿に使われる野菜は保存会の農家の方が一年かけて育てます。
9月1日から集会所に集まり、一か月間かけてひとつずつお神輿のパーツを作っていきます。


つまりお祭が終わったらまたすぐに来年のお神輿に使う野菜作りをはじめるということ。
自分たちは10月の一時にお神輿を見てずいき祭を認識しますが、保存会の方々はこうしてずーっと地域のお祭を守ってきました。

よく観光雑誌に「京都らしい」みたいなことが書かれていますが、
けっこう最近になってできたものがそういうふうに取り上げられたりします。
でも客集めに精を出す観光地とかじゃなくて、
こういう地域の人が代々守ってきた「ずいき神輿」は本当の「京都らしい」といえるものの一つではないのかなと思いました。

おわり。


ずいき神輿についてもっと知りたい!という方はこちらもどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/ritszuiki2011/
立命生が瑞饋神輿保存会へインターンシップへ行き、取材・記録をしたものです。

秋のおまつり

昨日(10月2日)は北野小学校のすぐ南にある北野神社の御旅所で行われているおまつりに行って来ました。

境内に展示している野菜でつくられたお神輿は圧巻でした。
詳しいことはメンバーの住沢さんに紹介してもらいましょう。



印象に残ったのが、肌寒い季節にもかかわらず境内のみならず妙心寺通りから西大路通りに至る夜店の屋台と人の多さ。



(こんな言い方はあまりよろしくないが)
「京都の人は"おまつり"が好きなんだな」
と、思わせる風景でした。




にしても、子どもの姿が圧倒的に多かったことにもびっくり。


「モータープール」文化

ひさびさの更新。
(決意表明も込めての更新。笑)


文化というものは局地的に発生する。
ゆえに文化「圏」というスケールが発生する。

柳田國男が提唱した方言周圏論も基本的には同心円状にその分布がみてとることができ、「圏」をうみだしている一例であろう。
「モータープール」も同じような文脈でよむことが可能なのか??


(わたしは生まれも育ちも大阪なので)
(それにしても大阪人らしくない、という話はおいといて)

まちなかで「○○モータープール」という看板を見るつけるとすぐさま「駐車場」と認識してしまう。
実は、これ、ローカルな現象だということをついさきほどまで知りませんでした。
しかも、関西圏でよく見られる表現の仕方であって、関東などでは見ないということらしいのです。

おもしろいことに、ぐーぐるまっぷで東京都心に地図を合わせそこで「モータープール」と検索してみると星のように無数のポイントが出てくるのにその名前は「○○パーク」、「パーク○○」、「コインパーキング」、「○○駐車場」、「タイムズ」などなどのような結果が見事にでてきます。


では、この「モータープール」が少なくとも関東では駐車場という意味で使われていないことがわかったところで、

モータープールとはなんぞや?

ということになります。


そこで、適当に調べてみますと



大阪府を中心とする関西一円では、民間駐車場の事を「モータープール」と呼ぶ。元々はアメリカ軍の車両部隊や官庁の公用車の待機所または部隊自体の事で、原語の「motor pool」に駐車場の意味はない。現在でも米軍施設や自衛隊では用いられており、厳密に言えば日本各地に存在するが、民間駐車場の呼び名としては関西でしか用いられない。
      Wikipediaより

【読み】 もーたーぷーる
【標準語訳】 駐車場の事
【使用例】 月極モータープール 空きあり
【解説文】 「駐車場」の関西独自の呼び方。関東ではほとんど通じない
          みんなで作る!大阪弁辞典より


ということらしいのです。
つまり、①関西圏でしか使われないらしくて、②英語のニュアンスとは少し異なる和製英語だということ。



しかし、なぜ関西で英語と異なる意味で「モータープール」という言葉が駐車場に置き換えられてきた理由も時代も不明。


わたしの解釈では、モーター(モーターカー=車)のプール(溜まり場)っていうあまりに単純な解釈なんですが。笑



さらに、おもしろいことはこの「モータープール」文化を踏襲したであろうこんな言葉が京都にはあるということ。
(写真を参考してくだされ)







某HPを参照する限り、この建物は40年ほど前に立てられているというので4,50年前には「モータープール」がしっかりと定着していたということも想像できる。





ローカリティな文化が用途を異にして、しかしある一定のルールを保ちながら使われていく様には興味深いものがありす。


一度、写真のお店にお買い物にいってみたいなあ。